平成9年

国民生活白書

働く女性 新しい社会システムを求めて

平成9年11月

経済企画庁


[次節] [目次] [年次リスト]

第I部 女性が働く社会

第4章 働く女性と教育

第1節 女子の教育と社会の変遷

女子の教育の変遷を社会との関わり,特に女子の就業との関わりから見る。

1. 戦前から1950年代半ばまで

(「学制」の発布から明治20年代まで)

欧米先進国の教育制度を参考にして「学制」が発布されたのは1872年(明治5年)のことであった。「学制」には,学問は各々が身を立てるために必要なものであるから,全ての人が学ぶべきものであるという理念が示されたが,当時女子の多くは農家などの貴重な労働力であり,就学させるだけの余裕がある家庭は少なかった。そのため女子の学齢児童(戦前は満6歳から満14歳の児童)の就学率は1895年(明治28年)でも5割に満たなかった。

(明治30年代から昭和前期まで-初等・中等教育の普及)

日清戦争後,教育振興の気運が高まる中,1900年(明治33年)に小学校令が改正公布された。これにより義務就学の規定が厳密化され,義務教育無償の原則が明示された。このころ,初等教育における女子の学齢児童の就学率は急速に高まり,1905年(明治38年)には93%に達した(第I-4-1図)。

女子の中等教育機関である高等女学校(男子の旧制中学に相当。12歳から15歳まで期間は4年間)についても,1895年(明治28年)から1915年(大正4年)の間に,学校数が15校から366校へ,生徒数も2,897人から95,949人へ増加し,就学率は12.6%まで高まった。

大正時代になると,工業化,都市化の進展につれ,個人の自由意志を重んじ,る近代的な雇用形態の職業につく婦人労働者(いわゆる「職業婦人」)が登場するようになった。東京市社会局「職業婦人に関する調査」(1924年)によると,こうした「職業婦人」のなかでも比較的高収入を得られる教師,タイピストの学歴は,高等女学校もしくは職業学校の卒業者が多く,両者合わせると教師の97%,タイピストの77%を占めていた。

(戦後の男女共学制度)

1947年3月31日,教育基本法が公布され,教育の機会均等,男女共学が明記された。同年には中学校で,翌48年には高等学校で男女共学が実施された。

2. 1950年代半ばから1980年代半ばまで

(1950年代半ばから70年代半ばまで-専業主婦の増加と女子の教育)

高度成長期(1950年代半ばがら70年代前半)には,工業化,都市化,サラリーマン化が進んだ。それらに伴い,専業主婦も増加した。「男は外で働き,女は家庭を守る」というように男女で役割を分担する家庭が多くなった。

こうした動きは,教育の面にも影響を与え,50年代半ばになると女性特性論教育が強調され,中等教育における男女別学を求める声も上がるようになった。(56年7月10日,清瀬文部大臣は記者会見で「男女共学は弊害があるので,考慮すべき段階にきている」と発言し,高等学校関係者の間に大きな波紋を起こした)。

戦後,男女共学化に伴ない,小学校では「家庭科」を男女共通の科目とし,中学校と高等学校では選択教科としていたが,62年になると中学校で「技術・家庭」が新設され,男子は「技術」,女子は「家庭」と男女の区別をするようになった。さらに73年には高等学校で,女子に対して家庭科が必修とされる一方,男子には柔剣道のような保健体育の単位が多く課されるようになった。

大学においてもこのころ,専業主婦になることを前提として,教養を身につけるために進学する女子学生が増加した。こうした現象は人文科学系の学部において特に顕著であり,「花嫁養成学校」という言葉が使われるようになった。62年にはこのような風潮に対して教育の効果が社会に還元されないと「女子学生亡国論」が唱えられ,話題になった。

64年には学校教育法が改正され,大学昇格までの暫定的な措置として位置づけられていた短期大学が制度的に恒久化された。これ以後,各地で短期大学の増設が進み,女子の高等教育の大衆化に大いに貢献した。なお,主として女子の教育を目的とした短期大学が増加したことから,男子は大学を主とし,女子は短期大学を主とした進路に進む傾向が見られるようになった。

(1970年代半ばから80年代半ばまで―高等教育の普及)

高度経済成長期から安定成長期に移行したこの時期には女性のパートタイマーが増加し,女性の労働力率は上昇に転じた。一方で,高等教育への進学率は一段と高まり,まだ数は少ないとはいえ,専門職,技術職,管理職につく女性も出始めた。

この時期は第一次ベビーブームと第二次ベビーブームに挟まれ,18歳人口が少ない時期にあたり,高等教育の量的拡大が抑制された。男子の大学進学率は低下したが,女子の大学進学率は横ばいで推移した。

3. 1980年代半ば以降

この時期,経済のサービス化,ソフト化が進展し,これに伴って第三次産業を中心に女性の職場進出も一段と進んだ。男女雇用機会均等法が施行(86年)されるなど,女性の職場進出のための環境が整ってくると,高等教育の面でも進学者数の増加という「量的な拡大」だけでなく専攻学科割合の変化という「質的な変化」も見られるようになった。また,女子差別撤廃条約の批准(85年)を契機として,男女別の教育内容を見直す動きが出てきた。中学校では93年度から,技術・家庭科において男女の履修範囲の差異が改められ,木材加工,電気,家庭生活,食物の領域が必修となった。高等学校では94年度から,家庭科の男女必修が実現し,男女ともに「家庭一般」「生活技術」「生活一般」のうち1科目が選択必修となった。

(短期大学から大学へ)

わが国の高等教育における特徴の一つとして,男子は大学が多く,女子は短期大学が多いという男女の違いが大きいことが指摘されてきた(第I-4-2図)。しかし,最近では女子の大学進学率も高まっており,その差は徐々に縮まる傾向にある。96年には女子の大学への進学率が短期大学への進学率を上回った(第I-4-3図)。

(人文科学から社会科学・理工系へ)

また,わが国の高等教育におけるもう一つの特徴として,女子の専攻が人文科学系にかたより,社会科学系,工学系の専攻が少ないという点も指摘されてきた(第I-4-4図)。こうした差も徐々に縮まる傾向にある。87年には社会科学系を専攻する女子学生の数が教育系のそれを抜き,人文科学系に次いで2番目に多いものとなった。さらに,96年には全女子学生に占める人文科学系の専攻者数の割合と社会科学系のそれとの差は5.4%にまで縮まっている。理工系を専攻する割合も82年の4.1%から96年の7.4%へと増加している(第I-4-5図)。

(バブル期後の「就職氷河期」)

90年代中頃には,バブル期における企業の大量採用の反動と景気後退の影響から短大卒や大卒の就職率は低下した。96年の就職率を見ると,大卒男子は67.1%であり,また女子は短大卒女子が66.5%,大卒女子が63.5%と低迷している(第I-4-6図)。

日本的雇用慣行には長期的雇用により労働者の雇用の安定を図るとともに,学卒者の定期採用により,若年者の雇用を確保してきたという特徴がある。このため,バブル崩壊後,厳しい経営環境の中での雇用需要の減少に対し,企業は従業員の雇用の維持を図ったことにより,雇用調整は新規採用の手控えを中心とせざるを得なかった面がある。

4. 米国における女子の高等教育の変遷

米国においても都市化,工業化とともに女性の雇用者が増加し始めた。戦後,産業構造が変化し,ホワイトカラーが増加すると,それに伴って若年層で専業主婦が増加する傾向が見られた。1960年代以降には,経済のサービス化,ソフト化とともに女性が家庭を出て外で働く動きが強まった。女子の教育もこうした変化に対応した動きを見せた。

(19世紀後半から1920年代まで)

米国では,農業従事者が多くなかったこともあって,女性の労働力率はもともと低かったが,1920年代には23%まで上昇した。この時期,教育の面では,高等教育の共学化が進み,女子学生の割合は20年には47%まで達した。高等教育への進学率(18歳から24歳人口に対する)は20年代後半で約7%であった。

(1930年代から56年代まで)

女子の労働力率は,不況下の1930年代には20年代の水準のまま低迷した後,第二次世界大戦中には銃後の労働力として一時的に上昇して,44年には36%になった。しかし,大戦後は女子の家庭における役割が強調されるようにな11,46年の31%へと再び低下した。教育の面でも,高等教育における女子学生の割合は低下し,50年代には30%台にまで下がった。このころ「花嫁大学」(Finishing School)という言葉が使われ,将来の花婿を得ることが大学に進学する目的となる風潮も見られた。

(1960年代以降一高まる女性の労働力率と高等教育進学率)

60年代に入ると,ベティ・フリーダンの『女性の神話』(The FeminineMystique,邦訳『新しい女性の創造』,63年)を契機として女性運動が活発化し,政府も雇用,法律,教育などの面で性による差別を排除する勧告を行い,女子の教育の重要性を訴えるようになった。女子の労働力率は60年代後半には40%を超えてその後も上昇を続け,95年には59%にまで上昇した。教育の面でも,60年代半ばから70年代にかけて公立の共学大学を中心に進学が増加し,女子の学生の割合は70年代には40%台,80年代には50%台となり男子を上回った。その後,学士および修士の学位取得者数でも,女子が男子を上回り(第I-4-7図),学部専攻における男女差も縮小してきている。