平成9年

国民生活白書

働く女性 新しい社会システムを求めて

平成9年11月

経済企画庁


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第I部 女性が働く社会

第1章 社会で働き出している女性

第2節 時代の変化と女性就業

女性の就業の特徴やその背景を期間を分けてみてみる。

1. 戦前から1950年代半ばまで

(働く女性の半数以上が第1次産業)

戦前から1950年代半ばまでは,就業者の半数以上が農業等の第1次産業に従事していた時期である。農家世帯においては,女性は,家族従業者として働いている場合が多かったが,農作業に加えて家事労働もあり,その負担は相当重いものであったと考えられる。こうした農家の家族従業者としての女性が多かったことから全女性就業者の60%以上が第1次産業就業者であった。

(職業婦人の登場)

他方で,1910年代以降,都市を中心に「報酬を得るために,自家を離れて,一定の雇用関係の下に,労務を提供する婦人」(東京市統計課「婦人職業戦線の展望」(1931年))が増加していった。

とりわけ,この時期には中流階級において,事務員,教師や医師,タイピストなど専門的もしくは事務的な仕事につくという,いわゆる「職業婦人」も増加した。その理由としては,生活難という「経済上の圧迫」と共に「独立自立の押さえがたい欲求の発現」があげられている(東京市社会局「婦人自立の道」(1925年))。1923年の東京市の調査によると,そのような「職業婦人」の数はおよそ43万人とされている。

しかしながら,社会的成功を収めていると思われた勅任の女高師や音楽学校教授なども,「家庭を持つことが不便であるため結婚の機会を逃すことが多い,と「婦人自立の道」で指摘しているように,家庭との両立は困難であったことがうかがわれる。

さらに,職業婦人に対する世間の見方も,必ずしも好意的ではなかったようである。そのことは,例えば,「婦人職業戦線の展望」で,「周囲または環境に関して一番嫌なこと」として,「世人またお客の無理解」を挙げている人が最も多いことにもうかがわれる。

(昭和恐慌以後の女性就業)

1930年からの「昭和恐慌」などの全国的な不況期には,女性の労働力率は低下した。その後,31年の満州事変をきっかけに我が国が長期の戦争状態に入っていく中で,女性は男性の労働力不足を補うため,43年の「女子挺身勤労令」などにより,製造業などにも動員された。このため,女性の労働力率は一時的に上昇した。しかしながら,終戦後には,引き揚げ男性の職場確保などが優先されたこともあって,再び女性の労働力率は低下した。

2. 1950年代半ばから70年代はじめまで

(専業主婦の増加)

高度成長期であるこの時期には,産業構造は,第1次産業と第2次産業の就業者数が逆転し,第2次産業においても,繊維から鉄鋼,機械産業へ重点が移るなど,大きく変化した。これに伴い,都市に人口が流入し,企業の雇用者であるサラリーマンが急増した。また,長期雇用や年功昇進・賃金体系,企業内組合等を特徴とするいわゆる日本的雇用慣行が普及・定着した。

この間女性の労働力率は低下した。その理由の一つには,女性が家族従業者として就業していることの多い農業のウエイトが低下し,配偶者のいる女性全体に占める夫がサラリーマンである女性の割合が増大したためである。サラリーマンの場合は,職と住が離れていることや仕事内容が専門化してきたことなどもあって,夫はサラリーマンとなって所得を稼ぎ,妻は家事労働に専念するという家庭内分業が成立しやすかった。夫が雇用者である専業主婦は55年の517万人から70年には903万人となった(第I-1-6図)。

(進学率の上昇や家庭電化製品の普及の影響)

女性の労働力率を年齢別にみてみると,19歳以下の労働力率が1960年の49.7%から75年の22.6%へと大幅に低下し,また,20歳代半ばから30歳代前半の労働力率も低下している(第I-1-7図)。

10歳代の労働力率が低下したのは,高校への進学率が急上昇したためである。

これは,事務処理を行うために必要な知識などを求めた労働需要側のニーズとも合致していた。20歳代半ばがら30歳代の労働力率の低下は,サラリーマン化などにより,家事中心の主婦が増加したことを反映している。

一方で,30歳代後半以降の女性については,70年まで労働力率が上昇傾向にあった。その背景のーつとしては,電気洗濯機の普及率が57年の20.2%から70年には91.4%になったように,家庭電化製品が普及し(第I-1-8図),出生率の低下ともあいまって,家事労働の負担が軽くなっていったことがあげられる。

(女性の働く分野の変化)

この間の女性の働く分野の変化をみると,まず,第1次産業で働く女性が減少した。しかし,在宅兼業機会の増大等により,農家の男子青壮年層が農外就業することが多くなったため,「三ちゃん農業」といわれるように農業に携わる女性の果たす役割は増大した。一方,第2次産業では,製糸・紡績に従事する女性が減りつづけ,代わって,電気機械器具組立・修理や衣服・繊維製品製造に従事する女性が増加した。また,第3次産業の成長もあり,一般事務処理などに従事する女性が増加した(第I-1-9図)。

3. 1970年代半ばから80年代半ばまで

(パートタイム労働,既婚女性の就業が増加)

1970年代半ば以降の労働力率は,男性が引き続き低下する一方で女性は上昇に転じた。その特徴として,女性が労働力としてとどまる期間が長期化したことに加え,男性の賃金が従来ほど伸びない中で,短時間の雇用者,いわゆるパートタイマーを中心とする既婚女性の雇用者が増加したことである(第1-1-10図)。女性の雇用者に占める短時間雇用者の割合は,70年には12.2%であったのが,85年には,22.0%となり,その後も上昇している。

また,配偶者のいる女性の労働力率は,75年には45%であったのが,85年には51%と半数を超えた。特にサラリーマンの妻が専業主婦である割合は,55年は74.9%であったのが,70年には62.0%,85年には50.8%,88年には40%台となり,半数を割った(前掲第I-1-6図)。言い換えると,サラリーマンの妻で働いている割合が高まってきた。とりわけ,サラリーマンの妻で雇用者として働く割合は急速に高まった。すなわち,自営や農林漁業で働いていた割合は,55年の14,9%から95年に6.0%と低下しているのに対して,雇用者として働いていた割合は,55年には10.0%にすぎなかったのが,70年には24.7%,80年には31,8%,95年には45.7%と大幅に上昇した。96年には専業主婦数を上回るにいたった。

(パートタイム労働を中心に働く女性が増加した要因)

この時期に女性の労働力率が高まったのは,まず,労働需要側において,第3次産業の拡大など産業構造が変化し,女性の多い産業や職業での雇用が拡大したことや,OA化,FA化などの技術革新がその理由として挙げられる。また,特にパートタイマーを中心として労働力率が高まったことについては,第一に,在庫のきかないサービス生産の場合,時間的に仕事の繁閑が生じやすいことから,忙しいときの仕事に対応するために,パートタイマーへの需要が高まったことがある。また,第二に,経済成長率が従来よりも低下した中で,経費の節減を図るためや景気変動に応じた調整が比較的容易なこともパートタイマーに対する雇用ニーズが増大したことの理由の一つと考えられる。

(住宅費,教育費の増大や家事負担の一層の軽減の影響)

一方,労働供給側の理由としては,経済成長率が低下して賃金が従来ほど上昇しなくなったなかで,子供の教育の重要性に対する認識や住生活の向上への欲求が高まり,そのための費用を女性が働いて賄おうとするようになった。サラリーマン世帯の収入に占める妻の収入の割合は,平均で70年の4.5%から85年には8.0%に上昇し,95年には9.5%に達している(第I-1-11図)。また,電子レンジや全自動洗濯機などの新たな家庭電化製品の普及,紙おむつやベビーフードなどの普及,外食産業や惣菜産業などの発達による食事づくりの簡便化などにより,家事の負担が一層軽減されて,働くための時間的な余裕も生まれたことも小さくない。さらに,働き方としても,家事,育児との両立が容易であるような短時間の勤務で,かつ通勤の容易な身近な場所での職が求められたという面がある。このような労働供給側のニーズが労働需要側のニーズとマッチして,パートタイム労働が急速に拡大した。

(女性が働くことへの社会の意識の変化)

さらに,1975年の国際婦人年とそれに続く国連婦人の10年を経て世界的にもフェミニズムが広がり,女性が働くことに対する社会の風潮も変化した。また,女性の高学歴化の進展などを背景に社会において自己実現を求める女性が増え,ていった。総理府が行った「男女共同参画に関する世論調査」によると,女性が職業を持つことについて,「子どもができても,ずっと職業を続ける方がよい」とする女性は,72年には11.5%であったが,95年には32.5%に増加している。

一方,「女性は職業をもたない方がよい」と考える男性が,72年の15.9%から95年には466%へと減少した。

4. 1980年代半ば以降

(人手不足感の中で進んだ女性の活用)

傾向的に男性に比べ女性の雇用の伸びが大きい中,サービス経済化の進展など様々な要因もあるが,一般に労働力需給が引き締まり基調で人手不足感の時に女性の活用は進みやすく,緩和基調で人手が余っているときには比較的進みにくいという傾向がある。1980年代後半には,労働力需給を示す有効求人倍率の上昇と合わせるように女性の雇用者は増えた(第I-1-12図)。

第I-1-13図 仕事を中心と考える女性の増加

(増えてきた仕事中心の女性)

この時期の特徴の一つとしては,仕事を中心と考える女性が増加したことが挙げられる。例えば,就業構造基本調査によると,20歳から59歳までの女性で,「仕事を主とするか従とするか」について,「仕事が主」と考えている比率は,70年代には30%台半ばであったのに対し,80年代に上昇して92年には44%となった(第I-1-13図)。

また,企業の中でも専門職や管理職となる女性が増えたが,それ以上に特徴的なことは,医師や弁護士などとして,専門職や資格職として働く女性が増加したことである。例えば,80年代半ば以降,薬剤師や小中学校の教師が,女性の比較的多い職業として定着するとともに,司法試験合格者や医師,歯科医,公認会計士などに占める女性の割合も増加している(第I-1-14図)。

この時期における特徴の二つめとして,派遣労働が生まれ,在宅勤務が広がるなど就業形態,勤務形態が多様化したことがあげられる。

(基幹的・専門的に働く女性が増えてきた背景)

上記のように,企業の中でも補助的・周辺的業務だけでなく,基幹的・専門的な労働も担う女性が増えてきている。その理由として,「女性の能力を有効に活用するための一層の取組みが必要」と考える企業が67%を占めていることにみられるように(平成7年度女子雇用管理基本調査),一層のサービス経済化などを背景に,女性を積極的に活用しようとする企業が増加してぃることがあげられる。

労働供給側の要因としては,女性の高学歴化もその背景としてあげられる。

また,この間,1986年には男女雇用機会均等法が施行され,92年4月からは育児休業法が施行されるなど,就労と家庭の両立のための制度が整備されてきたこともあげられる。さらに,99年4月からは,募集・採用,配置,昇進について女性に対する差別の禁止等を内容とする改正男女雇用機会均等法,女性労働者に対する時間外・休日労働,深夜業などの保護規制の解消を内容とする改正労働基準法等が施行されるとともに,介護休業制度が事業者の義務となることとなっている。

(働く理由の多様化)

女性の働く理由を83年から97年までの調査で比較してみた場合,「家計費の足しにするため」や1生計を維持するため」とする割合が高いことには変わりがないものの,97年では「自分で自由に使えるお金を得るため」が最も高い割合を占めるようになった。また,「自分の能力・技能・資格を生かすため」も一貫して増加しており,働く理由が多様化し,より自己実現を目指して働く女性が増加していることがうかがわれる(第I-1-15図)。

なお,「家計費の足しにするため」に働く女性が多いことは,夫の収入が少ない世帯の方が妻が働く割合が高いことにも反映されており,これはダグラス―有沢の法則といわれている。96年版の国民生活白書でも示されたように,この法則はアメリカでは崩れているが,我が国ではまだ成り立っている。しかし,我が国についてもダグラス―有沢の法則を時系列でみた場合,高収入層の夫を持つ妻であっても,外で働く割合が次第に上昇しており,この点でも女性の働く理由が多様化してきたことが現れていると考えられる。